自立までの道のりの振り返り


2月28日、表参道にて、足立さんとのセッション。扁桃炎気味、寝違えて首が痛い。
自分の価値観を磨く時間を過ごした。
自分の優先価値について、「能力を示す」という言葉から、
それは何のため?と問われて、考えた末に、
「自分を好きになる」という言葉が出てきた。
「自分を好きになる」ことは、自分の人生、案外捨てたもんじゃないじゃん、
って思うことだ。トロピカの活動も、GLOWの公演も、すべてそこに繋がっていた。

その後、「自分を好きになる」とはどういうことか、を考え始めた。
ネットで調べると、「恋人に接するように自分と接しているか」という情報が出てきた。たしかに、昔、りょうくんの部屋はきちんと片付けていたが、自分の部屋は散らかしっぱなしである。恋人には、ハッテン場にいけ、なんて言わないだろう。僕は、知らない間に、自分を大切にしないことばかりやってきてしまったようだ。恋人だったら、ヌードモデルも辞めるようにいうかもしれない。自分を好きになる、自分を愛することを新たにやっていきたいと思いを新たにした。

3月14日、ネットのアプリで知り合った「ゆうせい」さんの家にいく、というイベントがあった。このイベントについて、「自分を好きになる」を実行するのがいかに難しいのかを痛感させられた。自分の恋人に、「夜の22時に来て欲しい」という輩の元に行かせることはないだろう。でも自分としては、会いたかったから会ってしまった。会った瞬間に、あ、「この人だったっけ?」という違和感と、「なんで自分、来たんだろう」という後悔で、明るく振舞うのが辛くなってしまった。それからというものLINEも途切れた。

中北さんいわく、僕は、相手の気持ちを気遣うばかりに、相手の気にいるようなことばかり言ってしまう、与えすぎて、自分の価値がなくなってしまう、という負のループに陥っているらしい。笑

ちょうどそのあたりで、新商品開発に横槍の既存事業のサポートが入り、まったくやる気がなくなってしまうという事態が起きた。

いま自分がやっている仕事も、本当はやりたくない仕事なのに、上林さんの期待をうけて、自分の気持ちをすり替えているんじゃないか? この仕事になんの意味があるんだろうか。どうせ使われるかもわからないのに。

このやる気のなさは、名古屋のゲオに提案にいくというのに、結局、まったく準備もできないくらいにやる気がなくなった。会社に入るのもしんどく、朝起きるのもやる気がなくなってしまった。この現状を打破するためには、なんとしても自分の意志を明確にしないといけない。いままではなんとなく仕事があったから、やってこれたけど、いまはもう違う。

3月16日、「嫌われる勇気」を買う

20日、祝日の水曜日の前日、久しぶりにりょうくんと飲みにいくことになった。自分は結局、りょうくんに愛されたかっただけで、りょうくんを愛せてなかったのかもしれない、と思ったのと、朝起きて、家を出た後の虚無感から、りょうくんと出会って、よかったことと悪かったことの両面があるということに気づいた。

22日、上林さんに現状を伝えて、もう辞めたい、という気持ちを吐き出すように伝えた。これ以上、承認されたくない、期待にこたえたくない、自分の意志で生きたい。

このあたりから、誰に何を話してもビクビクしている自分にきづく。
思い出すといつだってそうだ。さとしさんと株の話をしているときも、不安感があった、りょうくんと久しぶりに再開しても不安感があった、いつも人と話していて不安感があることに気づいた。もちおと上野の博物館にいっても、もちおに気を使っている自分がいるのだ。

27日。飯島さんに「自立」がテーマだと伝えると、「日本人は正しく依存することが大事。自立と孤立は違う」という話をしてもらった。
その日のうちに、市ヶ谷の書店で「HSP」という考え方があることを知った。

28日。飯島さんの言っていた、「自立と孤立は違う」というキーワードでネット検索をかけたところ、「心に聞く」というエクササイズを見つけた。心に聞いたところ、私の心はひどくやさぐれていたが、味方してくれるとのことだった。

180326

自立とは何か。
それは人を愛することらしい。 

ここ数日、アドラーの本を読んで、
自分を内省し続けている。

いつから自分は人に依存して生きるようになったろうか。

依存する相手を次々と変えて、愛されたくて、
いつでもその人のために、
どこまででも服を脱いでみせる気でいる。

そんな自分と決別したい。

ここからは自分の人生を、
自分の足で歩んでいきたい。

そう決心する、29歳の春。

151130映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」

・それぞれの景色が、地球上でその場所にしかないこと

・ともに生きる人を愛そう。隣で生きる人を愛そう。
選び選ばれることなく、すでに私たちは大きな偶然に選ばれている。

・いてもたってもいられないような、思わず走り出したくなるような
使命感に突き動かされて一生を燃やしたい。そのために、
もう無駄な時間は使いたくない。

風邪を引いたことを理由に、

土日の2日間を寝て過ごした。

 

熱があるといっても外に出られないほどではないので、

昼過ぎと夜の1日2食は家の近所に出た。

 

日曜の17時頃。

ベッドの上で金縛りにあった。

 

21時頃、やよい軒でチゲ鍋を食べる。

要町に住んでもう1年と半年。

ファミレスやスーパー、ドラッグストアなんかが、

要塞のように並びひしめいていて、

ずっと寝ていてぼけた瞳孔には、

その光が初めて見るように色鮮やかで、

遊園地のように感じた。

雑感(8/22)

・要町を歩いてると、熊谷に帰りたいな〜って思う。
 友達もいないし、部屋は古いし、
 家族と過ごしたいな〜って思う。
 あ、でも一人になりたいと思って一人暮らしを始めたんだった。
 元に戻るのか、新しい生活を作るのか。
 誰かにとっては要町もふるさとなんだよなぁ。。

ストラテラの服用開始

仕事ができない。

 

こんなに仕事ができないとは、自分でも驚いている。

無意識に感じていたらいままで定職につくのを、

避けていたのかもしれない。

 

仕事をすぐやめるわけにもいかないが、

このままでは会社に迷惑をかけてしまうので、

ADHDの投薬治療を開始した。

 

服用3日目。軽い吐き気や、貧血などの副作用はあるけれど、

とくにこれといって変化はない。

 

 

生まれてきてよかったと思うとき

この5年。
先のことを考える時、
いつも目の前には2つの道があるように思われた。

ひとつは、高層ビルへつながる道。
高収入で、英語を話し、磨かれた靴、かかとをならし、
高級ホテルのラウンジや、豪華な食事が用意されている。

もうひとつは、劇場へとつながる道。
カビ臭い稽古場、居酒屋での談義、仲間と語り合い、
お金はないけれど、それを紛らわす、
本番のエクスタシーと使命感が燃えている。

結局のところ、これらふたつは、
自分の空想が作り出した、虚構の分かれ道であって、
もしかしたらこんな道は無いのかも。
薄々そんな気もしてきた。

私がこれからどんな道を選んでいくのか、
大事なことは、どんな価値につながっているのかを考えること。

私は、人が「生まれてきてよかった」と思う瞬間を、
つくる、増やす、広げる、深める、ことを生業としたい。

生まれてきてよかった、とは何か?

人生の喜びってなんだろう。

美空ひばりの「愛燦々」を聞きながら、
苦しみや孤独ですら、人生の喜びだと感じるようになった。

これは重要な気づきかもしれない。